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坊主は「業」が深いほど大成するものと思われる。罪の自覚が大きいほど、あるいは罪を重ねるほど人間らしくなっていって、遂に人間になるのだろう。神や仏に近づくわけではなさそうである。『歎異抄』の悪人においておやとはそんなとこか。われら同業も恵まれた才能がオシャレに咲いているよりは、野暮とか醜さとか鈍感とかに取り囲まれている方が共感することが多い。悟れない未熟な苦闘が底力になるのは人間らしさのあらわれかもしれない。60才を過ぎようと百まで生きたところで小生、人間らしくならないようである。

引用-仲條正義の仕事と周辺 著者:仲條正義 1998年1月27日発行

   

モノに付随するある種の物語を求める「プラスアルファの価値観」が登場し、それに消費者が呼応していることをこれまで見てきましたが、パイオニアたちが作った下地をベースに今、その価値観はさらに細分化し、作り手の世界観を共有する受け手と直接つながることに成功するブランドが目につくようになりました。第2章で紹介したような「自分がほしいものが見つからないから、自分で作る」というDIYの精神で、社会に対するメッセージを商品を通じて表明するブランドが増えています。
かつて「ブランド」を作ろうとした場合、大きさに差はあれど、ひとつの「コレクション」として商品のラインを構築するというやり方が、デビューの定型として存在していました。しかし、インターネットで消費者との物理的距離感が縮まり、個人が起業するためのツールが増えていることもあって、より気軽に単体のアイテムから出発するブランドが増えました。まず投資家や支援者を見つけ、借金を背負ってサンプルを作り、それをもとに注文を取って、前金を工場に払ってようやく商品を作る。こうした旧来のやり方に伴うリスクを嫌い、できるところから始める、という方法論が普及しつつあるのです。けれど、もっと注目すべきだと私が思うのは、自分の生き方をブランドに表現する人たちが増えているということです。
引用-ヒップな生活革命 第3章 足元を見つめ直してモノと付き合う 著者:佐久間裕美子 2014年7月 発行

   

「ああ、今日のように多忙しい思をしたことはない」
こう青木は操の方を見て言出した。彼は重荷を卸した為に返ってすこし茫然したという形で、底疲れしたような深い溜息を吐いている。
「ふふ」と青木は思出したように笑って、「今日は宛然眼が廻るようだった。午前に陶山君の社へ寄って、それから麹町の学校へ行こうとすると、車夫が乗れと勧めるじゃないか。俺も値切って乗ったところは好かったが、途中でもって飛んだ失策をやらかしたよ」と言って頭を擁えて、「車の上から毛布落としちゃった」
「まあ─知らずにいらしッたんですか」と操は呆れる。
「後でその車夫が非常な剣突サ」
「ホホホホホ。父さんも余程どうかしていらッしゃる」
岸本も笑わずにはいられなかった。
操は夫の様子を眺めてなんとなく気懸でならないような眼付をした。教会の方の仕事を辞めたのは可いとしたところで、筆でその補いがつくだろうか。ああ頭脳の具合が悪いと言てるようでは、心細い。こう操は胸を傷めた。麹町の学校から受取る僅少の報酬より外に最早定って入るものは無いのであった。青木の家では半ば米櫃に離れた形である。
「さあ、俺も多忙しく成って来たぞ」
こう青木が言って、グダリとしながら煙草を燻していた。岸本は例の問題を持出した。恩人の家へ帰るか、瀬多の方へ便って行くか、彼の取るべき道は二つであると話した。
青木は岸本から瀬多の説明を聞取って
「しかし、君、焼木杭に火ということも有るからネ」
と快活らしく笑った。

引用- 春 (島崎藤村)

   

それにしても、周縁に残存した始原の土俗思想を知ることに、そもそもどのような意味があるのでしょうか。
私たちのなかには、弥生的な定住モードの人びとと、縄文的な非定住モードの人びとの二種類がいるのではないか、と考えることがあります。
私たちの多くは、日本国民でありながら異民族として生きることを選びとった人びとの葛藤を、容易に推し量ることができません。しかし平板にみえるこの帰属性のなかにも、実は縄文というもうひとつのアイデンティティがあり、非定住モードの人びとは、その得体の知れないもうひとつの出自に強く引き寄せられるのではないでしょうか。
安定的な社会、自由な競合、富の蓄積─そこに生きる意味と価値をみいだした定住モードの人びとは、農耕カルチャーの極相である資本主義モノカルチャーに同化し、物質性豊かな現代社会を築いてきました。私たちはその恩恵に俗しています。
しかし、資本を王とする新たな奴隷制であるこの社会のなかには、あふれかえる富の意味が理解できず、競合という他者への「攻撃」を心底厭わしくおもい、離群を夢みる非定住モードの人びとがおり、なぜこれほどまでに生きにくいのか、やりきれない日々を送っているのではないでしょうか。
かれらもまた、容易に同化できないでいる「異民族」のようにみえます。
これ以上持たなくてよい。競う必要などない。いつでも離脱してゆけばよい─。
その縄文の声にしたがうことは、戦列を退いて敗者となることではなく、自身を相対化し、私たちは変わってゆける存在だと信じることです。そもそも勝者になろうが敗者になろうが、それは生の成熟とは本来かかわりのないことであり、どのような人間であれ、みじめで屈辱的なおもいを抱え、身を小さくして生きていかなければならない理由などひとつもありません。

引用-縄文の思想 著者:瀬川拓郎

   

私はカボチャとサツマイモを食べない世代に属する。なぜなら、さんざん食べ過ぎて、もう見るのもいやなのである。おそらくこれは単純な記憶ではない。どちらも、それしか食べるものがなかったから、食べたので、その結果、ある種の中毒を起こしたのであろうと思う。カボチャの場合なら、あの黄色のもとになっているカロチン系の物質が、肝臓に蓄積したのではないかと疑う。身体はそれに対して警報を発し、それが記憶にしっかり定着してしまっているのである。ふつうは警報が出れば、それ以上は食べないという抑制がかかる。しかし食糧難の時代だったから、それでも食べざるをえなかったのである。記憶はそれをしっかりと保持し、いまだに「食べるな」というのであろう。
当時、白米なんか仮にあったとすれば、たいへんなご馳走だったはずである。しかしその「ありがたさ」は、カボチャの「イヤさ」に比較すれば、問題にもならない。苦の思い出のほうがはるかに強いのである。
高校生の頃、虫垂炎になって手術をした。その日の夜、カキフライを食べて、しばらくしてから発病した。その夜、即手術を受けた。それはいいのだが、その後ほぼ一年間、カキフライがまったく食べられなくなった。好きな食物なのに、身体が拒否する。手術という侵襲と、カキフライを、私の記憶は勝手に結び付けてしまったのである。虫垂炎が治って、身体の調子が「いい」なんてことを、身体は「ありがたい」と思っていない。カキフライを食べた晩に、エライ目にあったとしか、記憶していないのである。幸い、この症状は一年間くらいで消えた。カボチャとサツマイモは、いまだに消えない。苦に対する身体の記憶はそこまで執念深いのである。だから人生、四苦八苦なのである。

引用-大いなる錯覚と、ヒトのしあわせ15 ( 文:養老孟司 風の旅人Vol.15 2005年発行)

   

これは人間誰でも持っている能力で、子供でもエディットしてるんですよね。子供が遠足に行って、帰ってきて「今日どうだった?」と聞くと、こういうところに行って、こういうことをやって、お弁当を食べてなんとかだとかって、一日のことを、せいぜい二分くらいで喋ってるわけですね。二分くらいで喋ってるってことは、一日の出来事の主要なところを切り出して、エディットして大人に喋っている。そのときに、すごく面白く喋る子と、なんだか全然要領を得ないで喋る子がいるわけで。これは小さいときからエディット能力のある子とない子がいるんだなと。歴然と差があるんですよ。
『ホール・アースカタログ』のような情報を編集している人はやっぱりエディット能力に優れていて、あそこにこんなことがあった、こっちにこんなことがあったということを連鎖させながら、うまくエディットしている。この雑誌(『スペクテイター』)をパッと見たとき、あ『ホール・アースカタログ』と同じ香りがあるなと思いました。エディット能力でサバイブしていく志向を感じましたね。

引用-バックミンスター・フラーの影響力 デザイン評論家 柏木博インタビュー (Spectator Vol.29 ホール・アース・カタログ〈前編〉2013年発行)

   

多分性格上、メチャメチャでもいいから誰もやってないことをやりたいって思ってるんでしょうね。そして、できれば、それを圧倒的なクオリティで作りたい。よく写真家がデビュー作を超えられないって言われるのに似てると思うんですよ。デビュー当時って技術は未熟だけど、強烈な思いがあるから、そのギャップが人を惹き付ける。もちろん、同じことを長く続けていれば、完成度は高まるし、工芸品としてはすごいモノができるかもしれないけど、心がドキドキするようなハチャメチャな感じとか、感動が薄れていってしまう。でも、モノづくりで大切なのは、心が動くかってことだと思うんです。

引用-DARKROOM rhapsody 孤高のプリンター、久保元幸の肖像 文:柴田隆寛 HUgE No.076 2011年1月発行

   

…それほどに美しい少女が、そこにスヤスヤと睡っているのであった。
その少女は艶々したおびただしい髪毛を、黒い、大きな花弁のような、奇妙な恰好に結んだのを白いタオルで包んだ枕の上に蓬々と乱していた。肌にはツイ私が今さっきまできていたのとおんなじ白木綿の患者服を着て、胸にかけた白毛布の上に、新しい繃帯で包んだ左右の手を、行儀よく重ね合わせているところを見ると、今朝早くから壁をたたいたり呼びかけたりして、私を悩まし苦しめたのは、たしかにこの少女であったろう。むろん、そこいらの壁には、私が今朝ほど想像したような凄惨な、血のにじんだ痕跡を一つも発見することができなかったが、それにしても、あれほど物凄い、息苦しい声を立てて泣き狂った人間とは、どうしても思えないその眠りようの平和さ、無邪気さ……その細長い三日月眉、長い濃い睫毛、品のいい高い鼻、ほんのりと紅をさした頬、クローバー型に小さく締まった唇、可愛い恰好に透きとおった二重顎まで、さながらに、こうした作り付けの人形ではあるまいかと思われるくらい清らかな寝姿であった。……否。この時の私はホントウにそう疑いつつ、何もかも忘れて、その人形の寝顔に見入っていたのだった。

引用-ドグラ・マグラ(夢野久作)

音だけで考えてみても、やっぱり色相がないと、メンタリティのある音が出せないと思うんです。詩を書く場合でも、漠然とでは書けないので、時間は夕刻がいいなあとか、気温は頬が切れるような寒さがいいとか、息がどの位白く見えるとか、そういうシチュエーションを徹底する。そこに人間を立たせたり、動物でも建物でも、光でもいいんですけどそういうものを重ねてみる。そこまで映像を思い浮かべないと書けないんです。あんまり具体的な話になるのは嫌なものですから、一人称や二人称を出さずに、感情の起伏のようなものを出したい。するとそういった映像的なシチュエーションは欠かせない。写真のような平面だったり、立体であったりするんですけど。そんな意味で音楽とアートというのは関連性があるんじゃないかと思いますね。

引用-吉田美奈子が語るアートと音楽(文=北小路隆志 STUDIO VOICE Vol.251 1996年発行)

   

「お花」の起源はクラフトワークの「朝の散歩」(アウトバーンに収録。小鳥のさえずりや、小川の流れの音をシンセで偽造している)に…いや、もっと古く’60年代初頭、ポップの王様ウォーホルの「花々」や「ぬり絵」にまでさかのぼる。それはケバケバしく、薄っぺらな人工自然。キレイだけど、実質ナシ。カラッポ。
カラッポと聞いて「なーんだ」と思うのはマチガイ。それ自体が空虚だからこそ、お花や蝶ちょさんたちは、それに向かう人間の心を映す鏡になる。P.K.ディックの名作『電気ヒツジ』を思い出してみそ。あの話にあった、クソの役にも立たない電気グモを意味もなく可愛がる行為、それはまったくのムダ。でも、人間の心の美しさを表している。
そんな可愛いクモさんを「なんだこんなもん」とヒネりつぶしてしまうイケズな人造人間。それは絶対悪(例えばアウシュビッツ)へと転化する転倒した合理主義の象徴かもしれないが、また、心を失いつつある私たちの、明日の姿でもあるのかもしれない。そこで断じて言うけど、可愛いものやキレイなものナシで、人間が生きられるハズはないっ!あなたは何のためにテクノを聞いているの、カッコイイから?進歩的だから?でも、今日からはキッパリ「生きるため」と答えましょう。強く、明るく生きるため。そーでしょ?
人を殺してはイケない、それは誰でもわかってる。生きものを大切にしよう、これも当然。じゃあ、ロボットなら解体してもいいの?もちろんイケない。でもなぜ?誰かの財産だから?違うでしょ!いつかは壊れてしまうものだからこそ、大切にしなくてはならないの。私たちの大好きなテクノは、手作りの、ギクシャクと動く可愛いロビィ。何の役にも立たないけれど、ユーモラスでお茶目で、そしてときどきハッとさせてくれる。それは、作った人の心が宿っているから。

引用-That’sお花TECH第弐回今だから言える「お花」の話 文:野口晴美 エレ・キング1号1995年4月1日発行

永井覚紀のコラム

『奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール』が公開されますが、
僕はというとかれこれ10年間は奥田民生になりたいボーイ。
学生時代に周りで飛び交う「普通」という言葉を不審に思ってからというもの、歌詞が声がリズムが、折に触れ
沁みる沁みる。「そうなんよーさすらわんひとばっかとよ!」とか、「あー今日俺もピンぼけの日〜」とか、「退屈ならそれもまたグー!」とか。

そんな奥田民生のデビューと、僕の誕生年は奇しくも一緒で、今年で30周年。つまり僕の「奥田民生になりたいボーイ期間」は人生の三分の一の期間に該当するわけだ。
この三分の一をパーセンテージでいうと33.3%。三割三分三厘。僕の場合ものごころついたのが小学校一年生の半ばだったので、それまでの期間を除けばさらにこの数字は上昇し、それは全盛期のイチローの打率をも凌駕することになる。

でもイチローの全盛期っていつ?過去のデータを数字で客観的に判断することはできるが、はたして本当にそれを全盛期と呼ぶのだろうか。本人の意識(つまり主観)ではいつ?有識者(誰だそれ)の判断だといつ?主観と客観だとどちらに優位性があるのだろう。

僕は思う。スラムダンクで桜木花道が言ったように、それは「今」なのではないかと!主観も客観も織り交ぜておしなべて「今」だと!全盛期とは常に「今」なのだと!

ということで、奥田民生の全盛期は今。そう2017年のこの瞬間なのである。デビュー当時のことはよくわからないが、それも全て今のため。日々積み重ね、日々歴代最高を更新しているのである。

ぜひ全盛期の(と言ってもちょっと前になるが)「奥田民生」を聞いてみてほしい。自身の贔屓プロ野球チームのホーム球場で、好きに弾き語りするあの全盛期を。わがままで、自由で、声にも人にもノビが感じられるから。

余談ではあるが、厳密には桜木花道が言ったのは「栄光時代」であって「全盛期」ではない。あの極限状態においてその言葉のチョイスの繊細さ。彼もまた、詩人。スラムダンク読み返そ〜

永井覚紀
1988生福岡県久留米市在住
大学で建築を学ぶ。
様々な職を転々とし独自の解釈でクリエイティブに向き合う男。
現在はうきは市の杉工場で木工職人を生業としながら活動中。