「お花」の起源はクラフトワークの「朝の散歩」(アウトバーンに収録。小鳥のさえずりや、小川の流れの音をシンセで偽造している)に…いや、もっと古く’60年代初頭、ポップの王様ウォーホルの「花々」や「ぬり絵」にまでさかのぼる。それはケバケバしく、薄っぺらな人工自然。キレイだけど、実質ナシ。カラッポ。
カラッポと聞いて「なーんだ」と思うのはマチガイ。それ自体が空虚だからこそ、お花や蝶ちょさんたちは、それに向かう人間の心を映す鏡になる。P.K.ディックの名作『電気ヒツジ』を思い出してみそ。あの話にあった、クソの役にも立たない電気グモを意味もなく可愛がる行為、それはまったくのムダ。でも、人間の心の美しさを表している。
そんな可愛いクモさんを「なんだこんなもん」とヒネりつぶしてしまうイケズな人造人間。それは絶対悪(例えばアウシュビッツ)へと転化する転倒した合理主義の象徴かもしれないが、また、心を失いつつある私たちの、明日の姿でもあるのかもしれない。そこで断じて言うけど、可愛いものやキレイなものナシで、人間が生きられるハズはないっ!あなたは何のためにテクノを聞いているの、カッコイイから?進歩的だから?でも、今日からはキッパリ「生きるため」と答えましょう。強く、明るく生きるため。そーでしょ?
人を殺してはイケない、それは誰でもわかってる。生きものを大切にしよう、これも当然。じゃあ、ロボットなら解体してもいいの?もちろんイケない。でもなぜ?誰かの財産だから?違うでしょ!いつかは壊れてしまうものだからこそ、大切にしなくてはならないの。私たちの大好きなテクノは、手作りの、ギクシャクと動く可愛いロビィ。何の役にも立たないけれど、ユーモラスでお茶目で、そしてときどきハッとさせてくれる。それは、作った人の心が宿っているから。

引用-That’sお花TECH第弐回今だから言える「お花」の話 文:野口晴美 エレ・キング1号1995年4月1日発行